平成世代、平成の終わりについてかく語りき
山椒魚は悲しんだ。
といっても今更悲しんでも仕方ないから、平成の終わりについて、考えた。
平成生まれかく語りき
私は平成3年生まれで、まぁ元年生まれには負けるけれども、「平成」に頭からどっぷり浸かり、「平成」と一緒に過ごしてきた人間と言っていいのではないかと思われる。
幼少時代、学生時代はどこへ出ていっても上の世代から「平成生まれか」とか「若いなぁ」と言っていただくことが多く、チヤホヤされてこっぱずかしいような、首筋のむず痒くなる思いをしてきた。
といってもそれが差別を受けてきたといいたい訳ではなく、むしろそう言われる度「自分は時代の真ん中に立っている」「自分はこれからを生きていく世代なのだ」といった、平成への愛着というか、アイデンティティを強く感じていきてきたものだ。「おいらが一番」とも思った。たとえそれがかつての「男らしく、女らしく」といった風な、言葉による刷り込みであったにしても、少なくとも私は好意的に捉えることが出来ていた。
ようするに私は、おだてられて木に登るような阿呆だったということである。
私たち平成の初期生産型世代はある線においては阿呆ではあるものの、平成の終わりについては、主観的に捉えることを許された特権的階級であると自負するものである。
平成生まれと学力
平成の初期生産型サピエンスたる私たちは、やはり昭和後期生産型サピエンスたちと比較の対象に晒されることが多々あった。とくに私たちの世代は先人たちに比べものにならないオツムの弱さ、という評価をほしいままにした世代でもある。
中学入学しばらくした私たちにおいても「どうやら俺たちは未曾有の阿呆世代であるらしい」という噂を機敏にキャッチし、互いを讃えあった。この点はおそらく全国的にそうだったと記憶している。
ゆとり教育
ゆとり世代こそ、平成とともにあった。
小学校高学年になって、ある日を境に土曜日に早起きしなくてもよくなった。
同時に「総合的な学習」と銘打たれた授業が開始され、私たちは学校の先生方の趣向を凝らした、すなわち手探りの授業でもてなされた。
大らかな年代に大らかな授業を経験した私たちは、国家ぐるみの阿呆エリートコースを突っ走ることとなる。
※誤解がないように注意しなければならないのは、私はゆとり教育を否定しているわけではないということ。大らかな私たちはゆとり教育が施されなくとも大抵は大らかに育ったと思うし、家庭の方針から大らかでない子供たちも中にはあった。学習意欲の高いのもいた。
ゆとり教育はその開始直後から非難轟々であった。
土曜日にぐうたらしてる、かといって勉強はしない、目を離した隙に円周率は3になってる、外へ遊びに行かない(私たちの世代はゲームボーイ最盛期でもあった*1。
ゆとり教育が始まる前は「子供は遊ぶのが仕事」と仏の顔をしていたのにとんだ手のひら返しだと子供ながら思った。何をやっても上からの圧力があった。
ゆとり教育の終焉
ゆとり教育はその後、いつの間にか廃止された。「総合的な学習」は、先生方の絶え間ない暗中模索の結果、なにも見つけられずに廃れて、代わりに英語に本腰を入れられた。
これは堪えた。母親が子供に絶対に言ってはならない言葉「あんたなんか生まなければ良かった」と言われたようなものだ。
しかもそれをゆとり直撃世代に直接言わず下の世代を方針転換させるという若干卑怯な物の言い方が、我々が失敗作だったと裏付けているようで、悲しかった。
平成の終わりを迎える初期型モデルが思うこと
平成についてはこれまでも、そしてこの後約1年間は各種メディアで特集が組まれ、ガングロ文化や携帯文化について専門家が解説してくれるだろうから、そのあたりは譲るとして、ここでは私たち初期型モデルにしか語れないことを語りたい。
私たち初期型モデルは、平成の開闢を受けた瞬間から「好景気をしらない世代」「失われた世代」「ゆとり世代」と、どちらかというとネガティブな言葉とともに語られる傾向にある。私たちの常識は先人たちの非常識で、何をするにしても「ゆとりだから」と籠の中に入れて蓋をされるばかりだ。
こうした上からの圧力の被害者と言おうと思えば言えるのかもしれないが、冒頭に述べた通り、意外と私たちは「ゆとり」とか「さとり」とか、アンドソーオンな括りに対し愛着を持っている。
ただ、私たちは自らの人生にひとつ、カンマを打たねばなるまい。
平成が終わる。
「三四郎」の御尊父が乃木大将の殉死に心を窶していったように、
「こころ」の先生が明治天皇の崩御に時代の一区切りを感じたように、
「ゆとり」の私たちも生き方の主軸を取り換えるときが来たような怖さがある。
時代の転換期を前にする今、彼らの思いが何となくわかる気がする(むろん勘違いという可能性もないこともない)。
平成の次の年号が何になるのか知らないが、かならず次の「〇〇世代」が台頭する。そうなると私たちが享受した、あの「若いねぇ」の梯子は挿げ替えられることになろう。そうなると我々平成初期世代は急速に老け込んでいくかもしれない。
もうすぐすれば私たちは30年近く過ごした、平成という故郷にさよならを告げることになる。
学生を終えモラトリアムの無事終了を迎えた私たちは息つく間もなく、隆盛時代の終焉に備えなければならない。