賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

記憶力が悪い

 だいたいがいい加減な性格をしているからか分からないが、憚りながら、私は物覚えが悪い。すぐ忘れる。私の頭の消しゴムの凄まじさたるや。


 努力はした。音読に書き取り、単語カードにCDと、手を替え品を替え色々試した。そこは認めるべきである。しかしいくら頭に詰め込んでも情報が流し素麺の如く無抵抗に流出していくのだ。眼前を秒速でバイバイしていくそれらに、私は悔しさ色の涙を流す。なぜ人一倍物覚えが悪いのか。

 そんなことだから演算と記録を両立するコンピュータには感心を通り越して敬服するばかりだ。私は記憶力もお粗末だが計算力も酷い。小学生時代から計算ミスも少なくない。というかお手の物だ。コンピュータには何一つ勝るところがない。不死だし、あいつら。2000年代の割と早い段階でシンギュラリティは起こっていたのである。


 そんな生き辛い世の中を過ごす一方、変なことは覚えているから不思議だ。本棚を眺めていると色々のことを思い出す。


 初めて読んだSFはヴェルヌの海底二万海里。読了と前後して行ったデーズニーランドのアトラクションが印象深かった。小学生だった私はお土産にノーチラス号のキーホルダーを買ってもらった。

 そこから宇宙戦争地底旅行を読み、月世界旅行も買った。母の運転する車の中で、酔いにも負けず本をがっちり掴んで離さなかった。人生初の作者買いはジュールヴェルヌだった。

 森見登美彦作品にハマるきっかけとなった「きつねのはなし」は京都の北大路堀川にある小さな書店で買い、帰省後に自室で読んだ。真夏の昼、クーラーの効いた部屋で初めて背筋の凍る感覚を味わった。そういえば「新釈走れメロス」もあの書店で買ったなぁ。


 とまあ本についての記憶を記せばきりがないのだが、これらの記憶が丸々受験時の単語やら人名やらに置き替わっていたとしたらどうだろうか。ちょっと寂しいんじゃないかな、とか思ったりする。反対に、そのような思考を抱くのは今ここに居る私の脳の考えるところであって、それならそれで充実していたかもしれないとか考えたり。

 まぁいい時間だしいい加減寝る。