賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

日本画の出会い

 京都細見美術館での春画展、これは数年前の冬のことである。

 文化博物館での肉筆浮世絵展、これは昨年の夏、行った。

 萩美術館での常設展、春先の暖かい時候だった。

 

 意外や意外、書き出してみると、浮世絵を見に出かけるのは以来4度目になるらしい。趣味:浮世絵鑑賞を標榜して良いくらいには出かけている。

 触れた機会の割に、浮世絵の知識に乏しいの感に堪えない。

 いや、浮世絵の多くが木版画によるもので、摺師や彫刻師による分業体制で、といった、いろはのいの字、基本事項はボンヤリ知ってはいるようだけれど、何派の誰兵衛が開いた一門がどうとかこうとか、踏み込んだ知識について問われると、もう、駄目。答えられない。話題に着いていけない。無理無理。

だから私は、浅学を公衆のもとに曝さぬべく、今日にいたるまで、浮世絵趣味を公言しないでいる。

 

 初めての浮世絵展は春画展だった。

 浮世絵のなんたるかも知らず、木版も肉筆も知らない坊やだった。踏み込んだ時、頭蓋の天盤が吹き飛んだかと思った。

 高性能のカメラによる高い描写力、それと引き換えにとある脚色を余儀なくされている現代映像美術、それに親しんで大きくなった温室育ちの私は、野性味あふれるリアルな描写に圧倒された。

 野性的勘に従って描かれた芸術作品は、隠さんでも良いところばかりが変態的矜恃に隠され、むしろ強いて隠すべきところは丸出し状態、肉体的な描写は結合部を見なければむしろ健康的と言えなくもない。

 一本一本緻密に描かれたる縮れ毛、即ち陰の毛が海辺の生き物の如く不気味なオーラを放ち、私をひどく酩酊させた。驚くべくは女性客が全体の7割ほど占めていたことであった。私はむしろその事実の方に興奮した。

 

 そんな姿勢で接してきたものだから、浮世絵の知識なぞ付きようもない。今回、「国芳から芳年へ」展に参加するその時まで、国芳の歌川門下であることを知らなかったし、国芳という言葉自体ぴんと来ないという、不勉強を通り越して常識がないの誹りを免れないレベルで学がなかったことを告白しておきたい。「版画でこの緻密さは凄いなぁ」と年齢の割に心配になるほど薄い感想を抱くところの阿呆は私に他ならない。以下、早朝のバケツに張る氷のように薄い感想を記しておく。次に書く時までに勉強し、きちんとした感想を掛ける様にしておくと今こころに決めた。

 

 とにかく展覧会は面白かった。国芳の作風や月岡芳年とのつながりを知れた。

 血みどろ絵を生で見られたのも大きい。血しぶき表現をトコトン追い求める姿勢は狂喜を感じた。これでは夜中に血を流す掛け軸とか、怪談が生まれるのも頷ける。あっと声を上げてしまいそうなほどリアルな傷口表現であったという。

 想像していたよりサイズが小さかったのは意外だった。