本の栞(あるいは如何に記憶の分霊箱となりしか)
本を読むときにつかう栞には、変なこだわりがある。
たいていの場合にはそこらに落ちている紙きれやらダンボールやらを使う。(私の部屋は特別な理由からダンボールが落ちているだけで、決して汚部屋ではない)えてして読書とは荒涼としているものだ。
そんな読書ばかりするものだから、たまに洒落た栞を挟んだりするとたいへん可愛い。ともすればそっちばかり見てニヤニヤして、部屋に女の子の闖入したかの如く骨抜きになる。これは私だけではあるまい。
いずれの栞も、私の生活のなかで接点のあった品物たちばかり。着色料たっぷりの記憶の分霊箱である。
京都オムライス「ルフ」
先斗町17番を入ったところにある洋食店でいただいたショップカードである。
大学に入学したばかりの頃、郷里から這い出てきた母が何か食べたいというので、一緒に入った洋食店である。
文字通り右も左も分からぬ先斗町を、見せびらかすように案内したものだが、私の精一杯の背伸びは見抜かれていたに違いない。オムライスなら(金銭的に)安全だろうということで、入った。
見込み通り(金銭的に)安全なお店で、のちに友達が訪れたときなど何度かお世話になった。私は物事に挑戦的な方ではないので、オムライスとミルクティーばかり注文している。
四年あれば恋人と一度は来るやもと憂慮したものの、そんな事は一度として無かった。
細井美術館「春画展」半券
まずこのデザインの素晴らしいことよ。
本来の一枚絵はここに載せるのも憚るそれはそれはモロの春画なのだが、この、足にのみ画角を切り取る大胆さ、ピンと伸びた指先の官能さったらない。
今から数年前、アンダーグラウンドで流行していた春画が見られるというので、大学の友達と見に行った。
浮世絵などといくら文化人っぽい顔をしたところで春画は春画。訪れる人間は男が殆どだろう。その場の誰もが予想したが、実際は女性ばかりであったので驚いた。男より女の方が性欲が強いと聞くが、これは……。
館内は、それはもう男女が組んず解れつ、しっちゃかめっちゃかな絵画だらけとなっていて、それを好奇の目で見る貴婦人たちと、それを不純な眼差しで見つめる男子大学生という、しっちゃかめっちゃかの入れ子状態にあった。
国芳の名がビッカビカのギンギラギンに輝いていた。
学生演劇の半券
※当人の迷惑を考慮して写真は割愛。
高校時代に片思いしていた女性がいて、彼女が同じ京都で学生演劇をやっているという噂が耳に入ったとき、憚りながら私は、これはもしや、と思った。
蒸し暑い六畳のまん中で(京都の大学を受験すると先に宣言したのは僕であるし、彼女は追いかけてきた訳であるし、果たして…)と考えを巡らせていると、はたして向こうから演劇を観に来いと催促があるではないか。一も二もなく駆けつけた私を誰が責められようか。
結論から言えば彼女は役者でも何でもなく、裏方の音声さんで、私はチケットのノルマとして呼ばれただけであった。今でこそこの風習は当然のものとして理解しているが、当時は(してやられた!)と思ったものだ。人間が小さい。
因みに彼女は中々の美人である。