パトロネ(藤野可織)がすき。
「ねぇねぇ、山椒魚くんはどんな女の子が好きなの???」
「えー、ぼく、わかんないや」
「なんでー?隠さなくてもいいじゃん!」
「うーん、じゃ誰にも言わないでね」
「約束する!」
「えーっとぉ、美人で背が高くて、周囲に違和を感じてて浮いてて、本人ももう半ば諦めている様子で、でも強がって愛想良くしようとしてるんだけど心の中で少しだけ悪態を吐いてるような人かな」
まさしく、「パトロネ」の主人公である。
何度でも言うが、私はこの作品の主人公が好きだ。将来のお嫁さんはこんな人がいい。慈しむという感情はこの主人公が教えてくれたと言っても過言ではない。愛している。だからこのあいだAmazonの評価が⭐︎2.5だと知ってショックだった。この作品の良さが分からないなんて全く理解できない。
ある日、主人公のワンルームに、彼女の妹が越してくるところから物語は始まる。だが彼女らの関係性は出だしから不穏。妹に着いていく形で写真部に入る程には嫌ってはいない様子だが、妹の方で主人公を徹底的に無視し続け、それを受けた主人公の方も段々と疎ましく思うようになる。
「よし、じゃあ棲み分けよう」と私は提案した。笑っているつもりだったが、口から出たのは険のある声だった。
「パトロネ」p.7 藤野可織
しかしよく読んでみると、主人公を無視しているのは妹に限らないことに気づく。主人公はあたかもその場に溶け込んでいるように振る舞っているが、誰も問いかけに応えたり、話しかけたりしていない。それでも主人公は(妹の悪口は言いつつも)満足そうにしている。それがたまらん。日常生活から垣間見える不安感。好きぃ…。
ただし、唯一主人公と会話ができる人がいて、それはかわはぎ皮フ科の先生だ。他の世界が不穏だっただけに、会話が成立するだけで少し安心する。でも、今度はこの先生の方がどこかおかしい。
それでいて、私たちの目が合うことは決してない。これだけの近距離で真正面から向き合っているのだから、目が合わないほうが不自然なのだけれど、合わない。
「パトロネ」p.40 藤野可織
何故か先生は、何度診察しても同じことしか言わない。何度も何度も、同じ説明ばかりで、さらには主人公もそれで満足なのだと言う。
すると先生は満足げに講釈を垂れ、それからいよいよ、私のもっとも好きな時間が訪れる。
「パトロネ」p.42
主人公がイキイキするシーンはどれも好き。絶対に幸せそうではないんだけれど、この世との繋がりを求めているかのような主人公が切なくなってくる。
-
現在形の文体
この作品の主人公は目に映るすべてのものをカメラのように等しくピントを合わせる、そういう解説を読んだことがある。なるほどなと思うのだが、私としてはこの作者の現在形に終始した文体を推したい。主人公には過去も未来もない。現在の出来事があるだけ。過去の経緯も対して説明されないから、5分前に世界が生まれたような、妹の登場で主人公が出現したかのような、変な錯覚を覚えてしまう。それがこの作品の掴み所のなさに繋がっているのではないかと思う。
この現在形の文体は後の「爪と目」につながっている。同作ではさらに捻りを加えられた二人称小説として名高いが、やっぱり藤野可織氏の持ち味である不気味さはこの現在形の徹底から来るものだと思っている。
「りーちゃん」の登場
妹も様子が変わり部活のメンバーもどんどん居なくなって、主人公の気持ちが落ちたところで、物語は大きく動く。りーちゃんの登場である。
(中略)
写真部のみんなにも皮膚科でもさんざん呼ばれているはずだったけれど、名前を呼ばれるのはほんとうに久しぶりだという気がした。もし今呼ばれなければ、自分の名前がなんだったか永遠に忘れ去っていたかもしれない。私は、もう一度呼ばれるのを期待した。名前を呼ばれるのはいい気分だ。
「パトロネ」p.78
ふさぎ込んでいた主人公は、りーちゃんの相手をするうちに息を吹き返すように感情を取り戻す。主人公の出生を知ったうえで読み返すと、主人公の心の機微が切ない。
で、りーちゃん以降はホントに急展開になるわけだけれど、そこからは唐突な場面展開の連続で、よくわからないうちに終わる。
皮膚病とは何だったのか(何の象徴だったのか)、物語上りーちゃんの役割は?
藤野可織さんは聡明な方なので、おそらく何かしらのメタファーを重ねているのだろうが、こちらの読解力が低すぎるので、まだ分からない。今のところそれに触れている解説もないようなので、これから何度も読み返して考えていきたいと思う。と言ったところで今日はお開きとしたい。
「えみちゃん」