ウケる男、山椒魚
A「えー? 山椒魚さんって28歳なんですか」
山椒魚『そのようです』
A「平成三年? タメじゃん」
山椒魚『そうみたいですね』
A「えホントに? やばいやばい」
山椒魚『やばいですか』
A「うん。やばい。ウケる! てかなんで敬語なの?」
山椒魚『ウケる?』
A「ウケるよ。ウケるウケる」
職場のとある女子から頂戴したお言葉である。彼女は笑顔を誰彼構わず振り撒いて、周囲の人間を巻き込んで手当たり次第に笑顔色に染めていく、北風と太陽いうところの太陽のような女性である。*1
女性を前にする私がいかに言葉少なであるかはさておき、彼女によれば、私が同い年だと「ウケる」らしい。信じられない。彼女は何をもってウケているのだろう。丸一日使って熟考したのだが、遂に判然とせんかった。判然とするのは寡黙で居ざるを得なかったちっぽけな私ばかりである。やはり、どうも滑っているとしか思えぬ。
ああ恥ずかしや。ついに私は担がれたのだ。思い返すだに後悔の念が押し寄せる。反省するもしきれぬ。否の打ちどころしかない。否の打ち放題。このコミュ障の権化! そうだね、はやく人間(並みの会話ができるよう)になりたいね! 畜生!
頭を抱えながら、自らの失態といま確実にドブに捨てつつある休日への後悔とを
空腹交じりに脳裏に浮かんだことがあった。
写真うつりが悪いと嘆く人は多い。人は自分の顔を見るとき、圧倒的に鏡に頼ることの方が多いから、左右反転の虚像の方をほんとうだと認識してしまうらしい。そのため、いざ左右が反転していない状態の顔を目の当たりにしたとき、あたかもそちらの方が虚像じみて見えるのだという。
では、間違っているのは私の方で、彼女の言う通り、実は私はだいぶんオモロイ人間なのではないか。
けれどもウケると言われて悪い気はしない。
言われてみれば、自分が何となくおもしろい男のような気もしてくる。自己認識が足りなかっただけなのではないか。なにしろ狙わず笑いが取れるのである。おもしろ人間でなくて何であろう。他人から見た私の知らない私・・・
狙って滑るより狙ってウケた方が良い。それは言うまでもない。そして狙って滑るのは明らかにイタい。では狙ってウケるのと無意識でウケるのであれば、図らずもウケるほうが燃費がいいに違いない。
これまでの人生、狙う前から既に滑っているのが私であったが、振り返れば背中に道のある如く、気づけば「ウケる」側に立っていた。
そういえば、と思い出す。
そういえば似たようなやり取りをしたことがある。これは銀行の行員さんだった。どんな会話の流れだったか、もう忘れてしまったけれど、そのときもお互い同年齢であることが判明した。
B「えー山椒魚さん同いじゃないですか」
山椒魚『そのようですね』
B「平成三年ですか? 私も三年ですよ」
山椒魚『どうやらそのようです』
B「え、なんかウケますね」
山椒魚『ウケますか』
B「……ウケなくないですか?」
山椒魚『ウケますね』
B「おもしろいですよね!」
桜の匂い立つような満開の、やわらかな昼時分のことであった。
この会話のあったあと、彼女は私に異動が決定した事を告げた。
同年齢はウケる。
会話に困ったら、同い年なんですよと言うべし。とりあえずウケるから。
大分偏った危険思想であり明日実践したところで滑る未来しか見えない気もしないでもないが、これは経験に裏打ちされた厳然たる事実である。