猫のまばたき
猫を飼っておられる方ならご存知だろうが、彼らは飼い主と目が合ったとき、ゆっくり瞬きをする習性がある。
気になって調べたところ、猫の目は構造上乾きにくく、あまり瞬きをする必要はないのだそうで、敢えてこれをするのはいわゆる愛情表現というヤツらしい。信頼しているから目を閉じられるというアピール、とか、おおかたそのあたりだろうと思う。あんまり可愛いので、それからは私も返報してやることにしている。
そうやって猫式挨拶を採用していると、瞬きのゆっくり度合いにも差異があることに気づく。長ければ良いのか短いとどうなのか分からないが、もう十分だろうと私が切り上げると向こうはまだ閉じてたりする。そっと目を閉じる。これは切るか切られるかの瀬戸際であり、社会人でいうところのお辞儀いつ切り上げるか問題の緊張感と相似関係にある。
猫が瞬きして、私も合わせる。逆も然り。私がはじめて、猫が追う。愛情表現に乏しい生き物であるヒト(とりわけ日本人女性)は須らくこの文化を見習うべきである。私の知る限り、私に対してこのような深い愛情を表現する女性は居なかった。
そういえばこんなことがあった。
帰りの新幹線で、眼精疲労を感じた私は深く強い瞬きをした。そのとき、トイレを見るためであろうか、こちらを伺っていたおじ様と目が合った。
そうして気まずい思いをしながら視線を逃がそうとした私だったが、その時、瞳の隅に、ゆっくり瞬きを始めたおじ様を捉えた。
私の脳はこの時、以下の思考プロセスを踏んだ。
1.このおじ様は愛猫家である
2.すなわち猫の愛情表現は熟知している。でなければ私の問いかけに返報しないからだ(私の問いかけというと意味がまた変わってくるが)。
3.キモい(お互いに)
私は心の奥でおじ様に「ネコ被ってんなや!」と当たった。(インパクトに欠けるオチ)
1月26日のブルース
朝、眼鏡を洗浄してもらう為だけに眼鏡市場に行く。店員さんが朝から相変わらずの色気を振りまいていた。あの妙な色気の答えは香水にあると個人的には睨んでいる。
帰り道、お爺さまから話しかけられる。「暖冬だから近く地震が来る」と歯のない口から熱弁を吐かれておった。科学的根拠はついに詳らかにされなかった。
昼、ブックオフにて『七つの習慣』を2冊買う。本家と漫画版である。そのまま図書館へ行き、『漫画版七つの習慣』を読む。
ジムに行く。若い人が増えてきた気がする。なんか臭いなと思っていたら、家に帰って判明。レッグプレスで踏ん張ったときに……。
予定を変更してシャワーを浴びる。お尻を入念に洗う。
喫茶店でお座なりにしていたシナセンの課題に手をつける。ショッキングピンクのPCが公序良俗を犯していた気がするが気にしない。
家に帰り、明日の昼ごはんを作る。
「予定が目白押しでしたね」
秘書の大山椒魚のメスが言い、黒いバインダーをぱたんと閉じた。
私は得意げに鼻をふんすと鳴らした。
「ふんす」
「お尻は大丈夫でしたか」
「少量だし、まぁ……」
「言ったでしょう、外へ出れば人は自然と成長するのです」
大山椒魚のメスの言葉に私は今一度鼻を鳴らす。
「だが、今日だけで1ヶ月分のMPを消費してしまった。しばらくは寝ていなければ身体がもた」
「そうは行きません」
大山椒魚のメスはバインダーをぶんぶん振った。「成長に終わりはないのですよ」
すると、大山椒魚のメスは床に目を落とし、落ちていたスマホを取り上げた。
私は語気を強めて抗議した。
「えぇ……秘書でもそれはちょっと」
「なんですかこれは! 何らの有益なアプリも入っていません。端末は有能でも使用者がこれでは」
大山椒魚のメスは両手でスマホをぽちぽちした。大山椒魚のメスは両手持ち派であることが予期せず判明した。
「ああっ、こら何する」
大山椒魚のメスはスマホを親指と人差し指で摘んで、それから放り投げた。
「雑誌、音楽、ポッドキャストです。これからは通勤時間を勉強に当てましょう。同世代につけられた遅れを取り戻すのです」
「いやはやこれはしんどくなるぞ」
向こう一年の模様が脳裏に浮かんだ私であった。
パトロネ(藤野可織)がすき。
「ねぇねぇ、山椒魚くんはどんな女の子が好きなの???」
「えー、ぼく、わかんないや」
「なんでー?隠さなくてもいいじゃん!」
「うーん、じゃ誰にも言わないでね」
「約束する!」
「えーっとぉ、美人で背が高くて、周囲に違和を感じてて浮いてて、本人ももう半ば諦めている様子で、でも強がって愛想良くしようとしてるんだけど心の中で少しだけ悪態を吐いてるような人かな」
まさしく、「パトロネ」の主人公である。
何度でも言うが、私はこの作品の主人公が好きだ。将来のお嫁さんはこんな人がいい。慈しむという感情はこの主人公が教えてくれたと言っても過言ではない。愛している。だからこのあいだAmazonの評価が⭐︎2.5だと知ってショックだった。この作品の良さが分からないなんて全く理解できない。
ある日、主人公のワンルームに、彼女の妹が越してくるところから物語は始まる。だが彼女らの関係性は出だしから不穏。妹に着いていく形で写真部に入る程には嫌ってはいない様子だが、妹の方で主人公を徹底的に無視し続け、それを受けた主人公の方も段々と疎ましく思うようになる。
「よし、じゃあ棲み分けよう」と私は提案した。笑っているつもりだったが、口から出たのは険のある声だった。
「パトロネ」p.7 藤野可織
しかしよく読んでみると、主人公を無視しているのは妹に限らないことに気づく。主人公はあたかもその場に溶け込んでいるように振る舞っているが、誰も問いかけに応えたり、話しかけたりしていない。それでも主人公は(妹の悪口は言いつつも)満足そうにしている。それがたまらん。日常生活から垣間見える不安感。好きぃ…。
ただし、唯一主人公と会話ができる人がいて、それはかわはぎ皮フ科の先生だ。他の世界が不穏だっただけに、会話が成立するだけで少し安心する。でも、今度はこの先生の方がどこかおかしい。
それでいて、私たちの目が合うことは決してない。これだけの近距離で真正面から向き合っているのだから、目が合わないほうが不自然なのだけれど、合わない。
「パトロネ」p.40 藤野可織
何故か先生は、何度診察しても同じことしか言わない。何度も何度も、同じ説明ばかりで、さらには主人公もそれで満足なのだと言う。
すると先生は満足げに講釈を垂れ、それからいよいよ、私のもっとも好きな時間が訪れる。
「パトロネ」p.42
主人公がイキイキするシーンはどれも好き。絶対に幸せそうではないんだけれど、この世との繋がりを求めているかのような主人公が切なくなってくる。
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現在形の文体
この作品の主人公は目に映るすべてのものをカメラのように等しくピントを合わせる、そういう解説を読んだことがある。なるほどなと思うのだが、私としてはこの作者の現在形に終始した文体を推したい。主人公には過去も未来もない。現在の出来事があるだけ。過去の経緯も対して説明されないから、5分前に世界が生まれたような、妹の登場で主人公が出現したかのような、変な錯覚を覚えてしまう。それがこの作品の掴み所のなさに繋がっているのではないかと思う。
この現在形の文体は後の「爪と目」につながっている。同作ではさらに捻りを加えられた二人称小説として名高いが、やっぱり藤野可織氏の持ち味である不気味さはこの現在形の徹底から来るものだと思っている。
「りーちゃん」の登場
妹も様子が変わり部活のメンバーもどんどん居なくなって、主人公の気持ちが落ちたところで、物語は大きく動く。りーちゃんの登場である。
(中略)
写真部のみんなにも皮膚科でもさんざん呼ばれているはずだったけれど、名前を呼ばれるのはほんとうに久しぶりだという気がした。もし今呼ばれなければ、自分の名前がなんだったか永遠に忘れ去っていたかもしれない。私は、もう一度呼ばれるのを期待した。名前を呼ばれるのはいい気分だ。
「パトロネ」p.78
ふさぎ込んでいた主人公は、りーちゃんの相手をするうちに息を吹き返すように感情を取り戻す。主人公の出生を知ったうえで読み返すと、主人公の心の機微が切ない。
で、りーちゃん以降はホントに急展開になるわけだけれど、そこからは唐突な場面展開の連続で、よくわからないうちに終わる。
皮膚病とは何だったのか(何の象徴だったのか)、物語上りーちゃんの役割は?
藤野可織さんは聡明な方なので、おそらく何かしらのメタファーを重ねているのだろうが、こちらの読解力が低すぎるので、まだ分からない。今のところそれに触れている解説もないようなので、これから何度も読み返して考えていきたいと思う。と言ったところで今日はお開きとしたい。
「えみちゃん」
夜のねざめ
学生のとき一度だけ、夜の店に行った。
夜の店と言っても京都は規制が厳しいらしく、一般に想像されるようなのは余り多くない(まぁ無いとも聞かないのだが)。私の行った店も、お酒を飲んでちょいちょいっと遊ぶような、社会見学程度のものだった。
私はその店へ、サークルの先輩と数人連れで入っていった……。
大学時代、私はサイクリングサークルに属していた。体育会系を標榜していたものの、深夜アニメは観るし本は読むしブログは書くしで殆どインドアに近い。私にはその絶妙な塩梅が心地良く、二回生で顔を出してから、つい最後まで居座ってしまった。
そんな中途半端なサークルだったからか、アウトドア派の学生はアウトドアサークルに行くし、インドア派はインドアサークルに行くしで、真っ当な人間は寄り付かなかった。そこでは屈折した価値観がガラパゴス化して熟成され、「非生産的なものにこそ価値を置くべき」という独創的な文化が羽を伸ばした。またその臭いをどこから嗅ぎつけてくるのか、腕に覚えのある奇人(私を除く)が自然と集まってくるのも不思議だった。
我々の情熱は、京都-稚内間を鈍行で乗り継ぐ、京都市バスを制覇する、ビデオアメリカ白梅町店のCDレンタルを制覇するなどといった、主としてサイクリング以外に向けて注がれた。それらの偉業は誰からも褒められなかったが、誰も相手にしないぶんサークル内で賞賛され讃えられ、その功績はのちの後輩達の越えるべき峰となった。
先輩方は言うまでもなく変な人で、その先輩は論を待たない変人である。大学を出て坊さんになったOGもいたくらいだ。その背中を眺めながら、我々は立派な奇人となるべく、高度にシステム化された教育によって奇人道をどんどん駆け上った。
よくない教えを詰め込まれる私
なかでも私は先輩方からは特に可愛がられた。くせ者だらけの先輩陣から格別の寵愛を受けたということは私の誰にも言わない自慢でもある。
その先輩の卒業コンパの時のこと。
宴もたけなわ、お開きの空気が座を満たし始めた頃、私が三年間のお祭りの終わりを受け止め静かに浸っていると、先輩が私の肩をがしりと掴んだ。目がギンギンに光っていた。
「山椒魚くん、僕はどうしても行ってみたい店がある!」
「行きましょう、今日は地の果てまで付き合います」
本当についていくつもりだった。先輩とネジを飛ばす最後の日なのだから。
「そうか!嬉しいぞ山椒魚くん」
「さぁ、いずこへ!」
先輩はもうテンションが爆発していて、私も俄かに誘爆して、楽しい酔い方だなと思った。
「僕は○○パブに行きたい!」
「……」
吐くかと思った。
その数十分後、我々は薄暗い個室で顔を付け合わせていた。
長細い小さな部屋には机と椅子、その他には入って来たドアと何処かへ通じるドア、壁には換金所の様な小さな口がくり抜いてあって、地獄の窓口かと思われた。入るとき兄やんから「ビールが欲しければ窓の前に立ってな」と言われたが怖くて誰も立たなかった。小さくなりながら私は、某国へ売り飛ばされる時、こんな箱に入れられるんだろうな、とか考えていた。
その部屋には我々の他に二人連れの男がいて、しきりに貧乏揺すりをしながら、落ち着きの無い目をぎょろぎょろ動かしていた。暗がりに白目が四つ光るのが異様だった。
ドアが開いた。
我々の名が呼ばれた……。
60分はあっという間だった。というと誤解を招きかねないが、やったことと言えば女の子と対面でお話しするのみで、後には拍子抜けの感のみが残った。
先輩はいつまで待っても出てこなかった。
先輩は30分延長していた。
何ごとも経験というが、あの日ほど濃厚な経験はない。あの夜を通して、私の社会の窓はあの小さな個室分だけ、広がったのだ。
SNSで友達の輝かしい投稿を目にして寝覚が悪くなるとき、私はあの夜を思い出す。私はこれからもこうしたコスパの悪い経験を重ねて、少しずつ社会の窓を開いていくのだろう。
追伸
後日聞いたところによると、先輩はあの日、延長に加えボトルキープまでしてしまったのだという。
「怖くて断れんかってん…」
と嘆く先輩に、私はおおいに笑わされた。
1月19日のブルース
人手が足りないという話を耳にする。辞める分はどんどん辞めて、一方で入ってくる人間が居ない。
足りない分は外国人を横滑りさせるとして、ではその浮いた人間はどこへ行ったのかというと、海外のホワイト企業へ出たり理想の条件を求めて職安に出たり、怖くて家から出てこなかったり、生まれてきてなかったりしているらしい。そういう訳で労働者確保が難しくなっていて、それ故に退職者の発生は是が非でも防がねばならない。
若い人間がなぜ退職するかというと、労働条件の悪さはもう論外として、働いていて自身の成長に結びつかないと感じるためであり、だから若い社員には積極的に資格取得の支援をしたり、研修に行かせて学ばせたりしなければならない。そんなことを複数のコンサルから聞いた。(個人的にはこの見解は微妙かなと思っていて、もっと根深いところ、SNSなどで同世代と自分を比較する癖がついているからだと思っている。体感する以上にSNSの功罪は大きい)
社長の頭にその言葉が残っていたのか、山椒魚含む若手社員は研修参加のため、全国に一斉に吹っ飛ばされた。私に課せられた特務は、今後展開される社内研修の参考、早い話がコンサルの孫引きである。
「とりあえず内容と構成と、話し方をノートに書き殴ればよかろうもん」
「参加者は10〜20人が一般だろうから、最前列とも最後列とも何とも言えないラインに席取って顔を伏せていれば安全だろう」
究極的緊張しいの私にとって席次は超重要で、以前最後列に座ったがために偏屈講師が私を当てに当てたことがあった。極度の緊張でひとつとして満足に解答も出来ず、あれには閉口した。
過去の研修で得た知識を実践し(ロクな事を学んでない)、私は会場の戸を引いた。六畳ほどの空間に丸い机と椅子6脚がでんと構えていた。
狭い。これは前も後ろもあったものではない。うち4脚は席が埋まっていて、そして何故か皆後ろから詰めて座っているので、自然私は最前列に着地するかたちとなった。
暫くして講師が入って来て、全員と名刺交換を済ませ、私以外全員役員レベルで、あろうことか最後講師から「おや、君は病院かね!」と興味を持たれた。スタート早々、嫌な予感がした。
嫌な予感は当たるものだ。
「君の病院の来期の予算は〜」
「君の病院の離職率は〜」
「売上は〜」
何故かコイツは私を執拗に狙うのである。重ねていうが私はヒラ社員で、本当に聞くべき社長は他全員がそうなのに、絶対に私以外に話を振らない。
私が所謂「良回答」をするからと考えるのは甘い考えと言わざるを得ない。緊張しいと言ったではないか。私は財務三表でしくじり(経理課)、一桁の掛け算をしくじり(28歳)、法人理念暗唱でしくじった(入社5年目)。どれも平生の私なら造作もないことで、それ故に悔しかった。
私はこの経験を社内研修に生かそうと思う。
それがコンサルのやり方ならそれに従い、私のような地獄を味わってもらう。
ヤツのコンサルは二度と受けないと誓った。
1月18日のブルース
部屋の中で発見された筆者(の一部)のスケッチ
この数年来、筆者は彼らの始末に手を焼いている。反抗期を迎えた中学生よろしく、隙を見ては脱走を図り、しかも、あと先考えないものだから行き着くあてもなく、後日「おやおや」と思いがけない場所から顔を覗かせる。机や棚の上だったり、いつの間にか口の中がモスモスして、最悪の結末を迎えることもしばしばだ。
この点において、筆者は自分の身体にも関わらず彼らをあるべき場所に何故安置できないのか、忸怩たる思いがある。
脱走も嫌だが、たまに絡まると痛いのでなお嫌だ。群生する彼らのすぐそばには神秘的なイソギンチャクが生えていて、それが伸び縮みする際に、彼らのうちの何本かが根こそぎ絡めとられるという痛ましい事件が多発しているのである。
エンジェル
先天的にお姉ちゃん子気質を持つ私はお姉ちゃん研究家という履歴書には書けない肩書を持つ。生き別れた姉を名乗る女性が現れてくれまいかと、眠れぬ夜をいくつ越してきたか知れない。
もはや多くは望まない。高望みはしない。
背が高く、深い知性と底知れぬ包容力を具え持ち、触れると優しいにおいのする美女(義姉だとなお可)。
そんな人が現れれば、私は笑顔に溢れる余生を送れるに違いない。
筆者の近影(日清食品:作「シスコーンBIG」)
私が非業の宿命を知る際は以下の手順を踏む。
ある日私が炬燵で温まっていると、ふいに美女の訪問がある。狼狽する私は誰何する。すると美女はハッと顔を上げる。私も驚く。彼女の目はわらび餅のように透明な涙をふるふる震わせているのである。
「あぁ、その声は……お慕いしておりました」
顔をいくら見つめても、私は彼女の正体に気づけない(義姉だから)。
「あぁ……坊ちゃん……」
「一体何なのですか」
動転する私は非道いことを口にしてしまうだろう。突き放すかもしれない。だが、美女はまるで自分が悪いとでも言うような顔をしている(底知れぬ包容力)。
「誰ですか!」
私は問いただす。
美女はなかなか答えない。適当な言葉を一つ一つ吟味している様子だ(深い知性)。やがて口を開いた彼女は、はたして自ら出生を語るのである。
「アイアムユア…ネエチャン」
「嘘だああああ(やったー)🤗」
そんなことを、病院の個室で考えていた。今日は母の検査入院だった。私は背後から、看護師のお姉さんに手を添えられ進む母を羨望の眼差しで見つめていた。
そんな様子に何を勘違いしたのか、母は後になって「あの子は今年大学を出る子で、4月からここで働くみたいね」と言った。「初々しくていい子よ」
私は一人、猛った。
母さん、俺が欲しいのは恋人じゃなくてネエチャンなの!週刊ジャンプと月刊ジャンプの違いと一緒なの!(ToLOVEるがあるかないか)