賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

「10倍速く書ける超スピード文章術」を読んだはなし

文章を書くのは辛い。

それは便秘に似ている。

頭の中でよくわからない物が蠢いて、貯まって、引っかかっている。出てきてくれればスッキリする。出なければ苦しい。

苦しいけれど、無事出したあかつきには、得も言われぬ深い快楽が待っている。そして数秒後にはまた苦しさの波が引き返してくる。

 

ゼロからイチを生み出すこと。それはもう満場一致で苦しいのである。

ペンを握ればまたあの苦しさを味わわねばならない。それは分かっている。苦しいのだけど、あの、出した時の爽快感が忘れられないから、我々は机に向かい、ノートを開き、ふたたび「ヌゥゥゥン…」と唸りだすのである。

 

私がこの本を手に取ったのは、そうした諸問題を手っ取り早く解決させたかったがためだ。要約すれば「苦しくなくかつ楽しく文章が書きたい」なる邪な考えによるものである。賢者の風上にも置けない。

 

「10倍速く書ける超スピード文章術」を読んだ。

10倍速く書ける 超スピード文章術

10倍速く書ける 超スピード文章術

 

 

「10倍速く書ける超スピード文章術」

本書が目指すのは、表現力豊かな「うまい文章」ではありません。
ビジネスの場で日常的に求められる「わかりやすくて役に立つ文章」です。

小説家やエッセイストであれば、読み手の心を打つような感動的な表現や文体、
誰も予想できない構成や展開を考える才能が必要でしょう。 

でも、ビジネスで用いられる文章で伝えるのは、「文章そのものの魅力」ではありません。 
「読者にとって役に立つ内容」を、わかりやすく伝えることができれば十分です。
ビジネスで使うほとんどの文章では、「文才」は求められていないのです。 

そこで本書では、文章が苦手な人でも、書くことが好きじゃなくても
実践できる、再現できる内容だけを紹介します。

文章を書くスピードを格段に速くする最大の秘訣は、
「どう書くか」ではなく「何を書くか」に集中するということです。
それだけで、書き終えるまでのスピードは圧倒的に速くなります。 

                      amazonの紹介ページより

 

結果から言うと、この本は期待していたものではなかった。

それは購入前に上記の紹介文を見落としていた私が悪い。それはもう全面的に。

 

私は文章を書くのがどうも苦手なタチで、「面白い」文章を作ろうとすると途端に手が止まってしまう。それはブログや小説を書くさいは、内容(ストーリー)よりも文章の良し悪しに重きを置きたいと考えているからだ。

しかし「10倍スピード」の筆者の頭には無味無臭な、ビジネス特化型の文章を良しとする考え方が根底にあるらしい。本を開いて数ページ後に書いてあった。見た瞬間買ったことを後悔した。もっと大きく書いとけ。

 

だから小説なりブログなり、凝った文章を10倍速く書き上げたいと考えている人間にこの本はおすすめしない(私は面白さと簡潔さは両立しないと考えるため)。

ついでに無味無臭な文章を批判する私の下手糞な文章についても、目を向けてはならない(この記事の説得力が落ちるため)。

 

帯には『「ブログ」「本一冊」まで』対応してる、的な書き方やったんだけどなぁ。

 

 

 

要点

① 文章の書き易さ(ちょっと語弊があるかも)は書き始める前の「素材」の充実度で決まる。「素材」が上質で、量も多ければ一気に書き上げることができる。

② 文章を書いていく際、「誰に」「どのような目的で」書くのかはっきりイメージできるようにしておくこと。

 

参考になった点

・ 「素材」理論

「文章を書く際は、あらかじめ素材を集める。そして質の良い素材が集まったら、その素材を繋いで文章を作り上げていく」という筆者の主張は、まぁ当然と言えば当然なのだけれど、例として筆者の過去の記事を挙げて説明されるので、理論だけでなく実戦に近い形で学ぶことができたのは良かった。

 

・読者、文章の目的の設定

→「誰に」「何のために」文章を書くのか明確にすることで、読者に届く文章を作成することができる

これも右に同じ。前回の「コンビニ店員と~」はこの本を読んで書いたのだが、意識するだけでずいぶん違うのがよくわかった。

 

 

注意すべき点

・素材理論について

素材をつないでいくという作文法は、だれが書いても同じ文章が出来上がるという結果を当然に導き出す。事実を淡々と並べていくだけだから、差異の生まれようがない。とくに筆者の場合、下手な脚色も修飾もしない美学があるようなので、事実を、事実のまま伝える文章が出来上がる。

けれども、それならわざわざ「私」が書く必要性もないのである。

 

私は、こう考えるものである。

冒頭で述べた通り、文章は便である。出なければ苦しいし、出るとスッキリする。過去に自分の出したものを並べてみては悦に入ることもあるし、他人の妙に凝った造形に嫉妬することもある。でも出したところでウ〇コなのだ。

ここに、2つのウ〇コがある。

作者の言う平坦なビジネスウ〇コと、村上春樹のウ〇コである。ついでに村上春樹のは予想通りものすごい臭い。ノルウェイの森を全部枯らすぐらい臭い。

賢者は村上春樹が大嫌いなのだけれど、それは村上春樹のウ〇コが癖が強すぎるウ〇コだからで、ではビジネスウ〇コはというと、平坦すぎて記憶にすら残らないのではないかと思う。そんなものを書き上げて一体何になるというのだろうか。そんな文章は、作者の言う「文章の目的」をどれだけ満たせているのだろう。

 

・ビジネス文書を書き上げるためにこの本を執筆したという作者について

では逆に考えてみるが、ビジネスで2000~8000字の文章が求められる場面がそんなにあるだろうか。

本の中で挙げている具体例も作者が過去執筆した記事ばかりで、果たしてそれらがビジネス文書かと言われるとかなり疑問である。一応ライターの仕事として書いた文章だからビジネス文書だという理屈は成り立つけれど、あまりに苦しい。

筆者自身「読者」の設定をミスっているとしか思えないのだ

 

ちなみに、賢者のいる職場では毎朝「1分間スピーチ」という地獄のような時間が当番制で回ってくる。これほんと地獄。

で、1分間で話す内容となると、だいたい2000文字前後となる。

これなら素材理論は使えそうだ。ビジネスの場だし、無味無臭の文章も公共性も損なわない。

まぁそれなら「1分で話せ」という本の方が参考になるんだけどね。

 

 

 

まとめ

なんだか反対意見ばかり書いてしまったようだが、頭でわかっていても他人から指摘されないと実地に生かせないのはよくあることで、この本についても読む前と読んだ後では文章の書き方、意識の仕方に変化があったのは確かだ。

それでもamazonで星4.5は高すぎるような気もする。

まだいうか。