ペンギン・ハイウェイ(その2映画の感想)
活動写真版「ペンギン・ハイウェイ」を拝見した。
泣いた。
いやいや、作り話で泣くって無いでしょ。そう思っていた時期が私にもありました。
その泣きっぷりたるや口の両端をへし折りワナワナ震わせるほど。自慢ではないが私の泣き顔は汚い。この世の見たくないものトップ2に入るぐらい嫌悪している(ちなみに一位はケツ毛)。友達に見られるのに耐えられよう筈もない。そんな汚物を見せるくらいなら涙腺を引きちぎろう。独りで行ったのは英断だったと今にして思う。
二人で行ったところで(そんな人がいるのかという議論は隅に置く)最序盤、ペンギンが走っただけで号泣する私に全く集中できんかったと思うし、こっちだって気まずい。
それくらい素晴らしい映画だったということである。
登場人物について
全体的に美男美女美少年美少女にデザインされていた。
アオヤマ君はその眼差しや髪型から原作の二割増しで聡明さが滴っていたし、魅惑の城ケ崎氏ヘアー・スズキ君は体躯が中学生かと思うくらいに発育がよく顔もイケメン化していた。
アオヤマ君は字も上手い絵も上手い頭も良いノートも綺麗おまけに博識とバケモンである。プロジェクトアマゾンの地図に「暗渠」と書いてあったのを見て驚愕した。そんな単語なんで知ってる。
ウチダ君に至っては、小説を読んだ時点では萎びた蜜柑のような顔を想像してたけれども(ウチダ君すまない)、目元のきりりとした科学の子になっていたので驚いた。*1
特筆すべきはお姉さんであろう。公式ポスターを初めて見たとき、失礼だが「おもいでぽろぽろ」の主人公かと思った。(これは失礼と釈明するのもジ〇リに失礼、釈明しないのもお姉さんに失礼というムツカシイ問題だ。)
なんだこの顔
期待から一転して懸念材料となったお姉さん。作画が安定しない。
お姉さんはそのハスキィな声も予想外だった。
ちょっとだけ濁音がついた酒焼けしたような低い声で、だから不安がぽろぽろしていたのだが、物語が進むにつれ「この声しかない」と思った。
なんつーか、妙なリアリティがあってお姉さんはたしかに生きてるという感じがした。それに動いていると、ぽろぽろ的妙齢さ(失礼)は雲散霧消して、かえって小説版で想像したお姉さん像より若く感じられたのは不思議だ。
下馬評から奇跡の復活を遂げたお姉さん。もう、むーっちゃくちゃかわいい。
ハマモトさんだけは想像通りだった。美貌も若さもちょっと強めな性格も、我が同胞岡田くんは納得しているはずである。
お姉さんについて
お姉さんについての感想はまだつづく。
おそらく読者諸賢に置かれてもこれは体験したことと思うが、劇中、お姉さんが出てくるたび、私の視線がお姉さん(とおっぱい)へと強制誘導され、画面を隅々まで見れないという迷惑な現象に遭遇した。
これではストーリーに集中できない。コロリドを責めようにも責めづらい繊細微妙な問題であろう。
そして何より、お姉さんもしっかり森見登美彦氏の読者であったのに感動した。
問題のシーン、アヤシイ本と並んで「京都さんぽ」も覗ける。これは余談だが、このお姉さんかわいい。
彼女の本棚にあのヘンテコエッセイ、エッセイの皮を被った何か、「竹林と美女」のタイトルがあった。気づいた瞬間、嫌味なファンっぽくニヤリと顔をゆがめ、「俺は気づいたけどみんなは分かるのかなぁ?」的な他人を意識した汚い笑い方をした。
しかしこうも思った。
あれ? 美女と竹林じゃね?
あ、間違えて覚えてたのか!ホントは竹林と美女だったんだそんな気がしてきた。
登美彦氏研究家のくせに恥ずかしいな!皆に言いふらしちゃった!
本を発見して以降の私は、かのように自ら恥じ入りつつ記憶を追うのに必死で、あの夢のような甘々シーンまるまる気もそぞろで見過ごしてしまった次第である。
至福の時間を棒に振ってまで考えていたのは、帰って一番に確認しようということであった。果たしてどうだったかと言えば・・・
やってくれたなコロリド・・・ しかもよく見たら映画のは作者「森見登美男」っぽいし。
劇中のシーンについて
冒頭~ペンギンを発見するまで
いつもの通学路でペンギンを見つけるシーン。壮大な音楽にふくらむ期待感の中、これからアオヤマ君にとって一生忘れられない出来事がはじまるんだ。
そう考えたら泣けてきたから困った。実をいうと冒頭のアオヤマ君の語りのシーンですでに泣いていた。
開始20秒で泣いてる人間を、周りの客はどう思ったか。
お姉さんの部屋
それにしてもお姉さんの部屋での一切はたいへん素晴らしかった。
眠ってしまったお姉さんをアオヤマ君が眺めるシーンは作中のグッとくるポイントであった。
彼女の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。もちろんぼくは遺伝子が顔のかたちを決めていることを知っている。でもぼくが本当に知りたいのはそういうことではないのだった。ぼくはなぜお姉さんの顔をじっと見ているとうれしい感じがするのか。そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。
森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ」角川書店p.133より
この文章を読むたび、うまいなぁ!と感心するものだ。映画ではお姉さんの顔、目、耳唇が順に(順不同)アップされる。
このシーンの描写については石田監督が公式読本の中で次のように述べている。
僕にもそのバランスは痛いほど伝わってきたので、あくまでお姉さんを研究対象として見ている感じを出したかったんです。絵だとどうしても生々しくなってしまうので。例えばアオヤマ君がお姉さんの家で寝ているお姉さんを眺めるシーンでは、アオヤマ君目線に目や耳や唇のアップのみを写し、純粋に造形に惹かれているということにした。
森見登美彦「ペンギン・ハイウェイ公式読本」角川書店より
この対談を読んだのち、私はふたたび「うまいなぁ!」と感心したのである。
「一生許さないから!」
ハマモトさんがスズキ君に激怒するシーンももれなく感動した。
少年時代はささいなすれ違いや正面切っての喧嘩などが原因となって「一生許さない」出来事が起こりうる。そういった出来事は殆どは時間の経過と共に「許せる」ように解氷していくものだが、なかにはいつまでも解決されないまま、大人になって痛み出す親不知のように、ほろ苦い思い出としてずっと背負っていくこともある。
ハマモトさんもこの「一生許さない」を胸にしまいこんで、でもたまにスズキくんを思い出しては苦笑いしたりする、なんてことになるんだろうなと思っていたら最後仲良くなってて草生えた。
お姉さんと<海>に向かって駆け抜けるシーン
予告でも使われていた、めちゃくちゃになってしまった街のなかを疾走するシーン。
アオヤマ君が爽やかな顔をしてるのが本当にいい。あれは映画スタッフからアオヤマ君に向けたプレゼントだと思う。一生忘れない思い出になったに違いない。
ペンギンたちが勢いよく飛び跳ね、めちゃくちゃになった街を縦横無尽に駆け巡る。本物のカタルシスというものを初めて知った。肩を震わせて泣いちゃったぜ☆
一瞬アオヤマ君を見るお姉さんと、それに気づかない良い笑顔してるアオヤマ君。アーナキソ。
気になった点
クライマックス
前述のシーンは予告で流さんかった方がよかったんじゃないかと思う。やっぱりすこしでも記憶にあるとその分インパクトが落ちるので。
声優
私は声優に詳しくないし、あまり誰がどんな声なんて分からない。芸能人にも疎いので(欠陥人間)たとえば蒼井優さん、北香那さん、西島秀俊氏の名前を見ても声は出てこんけれども、いくらなんでも竹中直人氏のハスキィボイスは何となく分かる。ハマモトさんのお父様が出てくるたび、あの薄笑いを浮かべた奥深い顔があぶり絵のようにじわじわ浮かんでくるから困った。夜は短しの星野源さんといい誰々が声優に!的な売り込みは損しかしないと思うんだけどなぁ
今回はペンギンハイウェイ(映画)の感想を自由に描きました。
多分、既視聴者は「あったあった」と笑っていただけたら嬉しいです。
*1:石田監督曰く、ウチダ君は「哲学の子」