映画「すみっコぐらし」を観る
いま、映画「すみっコぐらし」が世を騒がせているらしい(遅い)。
ニュースによれば、元々子ども向け映画として制作されたものが、年齢の垣根を超え、当初の予想以上に親世代を直撃、彼らの琴線をボロンボロン鳴らしているという。
子どもではないし親でもないしそもそも結婚してもいないが興味が湧いた。
YouTubeで検索してみると、やわらかそうなこと至極な丸っこい連中が地面をぽよんぽよんバウンドしている映像が流れた。
物理法則に従っているのかいないのか、指先でちょこねんと突つけばそのままどこまでも転がりかねない。要するに摩擦がない。
かわいい。
動画を観ても彼らの正体は一向要領を得ないが、そんな疑問の余地を許さぬかわいさだった。かわいさ至極。
とはいえ、予告だけで満足してはいけない。事実として世間が騒いでいる以上、知らないのもマズイ気がするからである。
そこで実地での調査のため、つぎの日曜日の昼、会社の同僚3人で観に行くことになった。念の為に注釈しておくと、彼らも子どもでないし親でないし結婚もしてない。これは俺の名誉のために加えるものである。
上映は朝イチが午前9時で、最終が午後5時開幕の予定だった。上映スケジュールが頗る窮屈である。よい子は夜7時までにおうちへ帰る義務がある。すればあれか、もしか「すみっコぐらし」は本当に唯の子ども向け映画で、やはり我々は対象年齢の外に置かれているのではあるまいか、我々はいまや子どもの楽しみにすら水を射す真似をしているのではないか。そんな懐疑の念がよぎったが、考えるだけ暗澹たる気持ちになるから、止めた。
映画館へ向かう道中、我々は「すみっコぐらし」の正体について議論した。
「借りぐらし的なアレではないか」
私が言った。
「物騒な単語を出すな。あれは駿の逆鱗に触れる」
ハンドルを握る先輩が反論する。
「それ人違いですよ」
後輩が割って入る。
「要するにサン〇オのスピンオフ映画でしょ?」
「まずサン〇オ作品ではないし、そうとしてもサン〇オはキャラで売ってるのだからスピンオフではないし、何よりその表現はオタク臭くてキモイ」
「何ですかその突っ込み怖っわ引くわ流石に」
「先輩相手に引いてはいけない」
「そういえば我々も事務所では隅っこに――」
「絶対言うと思った!」
「なんかこんな画像でてきましたけど」
「あっ、あっ、今運転中だから携帯ダメダメ、逮捕されちゃう」
と、個人的にはそんな不毛でオモシロイ会話で非常に満足していたのであるが、後輩君はそれならと公式HPの情報を丁寧に朗読するという暴挙に及んだ。
後輩君のお陰で「すみっコぐらし」についての揺るぎない情報を得た我々であったが、今度は映画のほかに共通の話題がないという情けない事実が明るみとなり、車内は森閑とした。満足そうな顔をしているのは後輩君ばかりであった。
そんな道中であったという。
映画の公開が11月頭ということで一か月以上も経っているし、リザーブは取っていなかったのだが、場内はほぼ満席状態で、我々は最前列に程近い席をあてがわれた。
「こりゃ凄い人数!」
目を白黒させる私の後ろで、後輩君が「そりゃ家族映画なんだから一組3、4人で観に来ますよ」と指摘した。「少し考えればわかるでしょう」
確かに彼の主張は一理あるが、少しも考えなかったのだから仕方がない。俺は「考えがあって、敢えて考えを放棄したのだから、少し考えればという指摘はズレていると言わざるを得ないね」と言ってやったがよく伝わらなかったようだ。今気づいたことだがその日は劇場の設けた「映画の日」で入場料金が1000円になっていたようである。
そんなことを考えていると、薄暗い中で予告がいくつか流れ、ハンディカメラ君お馴染みのパントマイムが披露されたのち、画面が暗転した。
感想(ネタバレ注意)
キャラのかわいさにステータスを振りつつ、きちんと物語然としている作品だったと思う。満場一致の暴力的な可愛さであった。
一方で、数多いキャラクターの作り込まれた設定が、物語の中に生かし切れていないように思われてならなかった。「すみっコ」に登場するキャラクターは様々な問題(?)を抱えている。「自分」に納得がいっておらず自分探しを続けるキャラ、自分は要らない存在であり、だからこそ人に必要とされたいと願うキャラ。
例えば、こうした解決すべき問題を抱えたすみっコたちが、映画時間を通じて部屋の隅から一歩、歩み出すようになれる、とか内面の変化があればもっと感動できたのではないか、と思う。本作で感動するポイントは「ヒヨコとの別れ」の一点のみであり、これは言ってしまえば物語側の都合だ。この物語の都合に対してどう成長するかを見るのが映画であり小説であり漫画であると思う。元々私も「物語には主人公の成長が不可欠である」とするハリウッド式三幕構成の考えには懐疑的ではあったのだが、本作の様な物語を前にすると、ハリウッドの何を言わんとしているかが何となくわかる気がするのである。