賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

壇蜜日記を読む。壇蜜と付き合いたいと思う。

 大陸からはるばるやって来た寒波が連日猛威を振るっており、我が穴蔵も遅めの雪がちらつく夜が続いている。

 布団の上で半身を起こしていると、猫背のせいで足りなくなった裾から冬将軍が手を忍ばせてくるようで寒い。お腹を痛める。何ならすでに痛い気がする。これは布団に潜りこむほかない。布団に包まれながら古本屋で購入した「壇蜜日記」をめくっている。こうした読書も悪くない。

 

壇蜜日記 (文春文庫)

壇蜜日記 (文春文庫)

 


 壇蜜さんは大学時代好きだった子と感覚というか空気感が似ている。

 ともすれば、彼女は本物の壇蜜だったのではと思ってしまう。壇蜜日記を一ヶ月ずつ読んでいると、彼女の思考をなぞるようで懐かしい。


 全人類を「持つ者」「持たざる者」に分けるなら、僕は後者の方が好きだ。ここでの持たざる、とは、生きていくのに必要と言われる、勇気、信念、お金、どれも熱苦しくて嘘臭いと思う。


 壇蜜さんも、このあきらめの感覚を強く抱えているようで、壇蜜日記を読むと、強張っていた心が和らぐ気がする。気丈に振る舞う感覚が痛いほど、よくわかる。

 彼女を、なんとかしてあげたくなるのは、僕が長男気質だからか、傲慢なのか。

ここは、彼女の魅力としておきたい。

ああ付き合いたいやぁ(雄叫び)。


 壇蜜さんは、とかく妖艶、官能、性的な部分に注目が集まりがちだけれども、こうした静的な部分をメディアは取り上げて欲しいものだ。

 本書を読んでいると、壇蜜さんについて、思うところがある。

かわいいなあ。

 ちがうちがう、いや、ちがわないが…そう、相応しくない。脱線した。

 

 本を読んでいて、九鬼周造氏の名著「いきの構造」を思い出すのである。

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

 

 九鬼周造氏は本書で、日本人の有する「いき」の価値観とは、「媚態とあきらめ」の精神からくると語る。壇蜜を象るキーワード「愛人」はその真髄と言えよう。

 先に述べた通り、彼女のグラマラスな姿勢は、確かに視覚情報として分かりやすいから、ストレートに欲求を刺激するから、メディアがもてはやすのも分からなくはない。(これが結果として「ハアハアしてる?」という迷言の誕生や「下品」の誹りをもたらすのはあまりに不憫だと思う)

 壇蜜日記の素晴らしいのは、こうした行き過ぎた媚態が抑えられている点、ならびに、壇蜜さんのもう一つの魅力である「あきらめ」が匂い立つ文章にあると思う。

 

 会いたいなあ(あきらめ)