或る研究者の手記
生物多様性という言葉をご存知か。
地球上の生物は様々な生態系を有し、それぞれが得意とする環境を持つ。地球上の環境はいつ変化するか分からないが、この生物多様性がはたらいている内は、その中から選択された次の種が繁栄する。だから現時点での有利不利を持って生物の優劣はつけられず、生物多様性は地球生物の存続の担保とされる。そういう文脈で用いられる言葉である。
だからチョット平均から外れていたとして、それを咎めたり非難したりしてはいけない。例え異色の相容れない文化に接しても、それを認めなければならない。その寛容さこそ、この世から戦争を廃する唯一の手立てなのだ。
では、蓼食う虫も好き好きという言葉はどうか。これは、香辛料として使われる蓼にすら喰らう虫はいるので、人間の好みもそれぞれだという意味である。
大文字山に登ったときのことだ。
懐中電灯を片手に、大学の後輩とえっちらおっちら登っていくと、山頂の夜景の中に、3人の男女の影があった。その様子の唯ならぬのは、男の一人がさめざめ泣いていたためだ。彼は英語でなにか呟いていたが、声が小さくて聞き取れなかった。どうやら失恋したらしい。
女は肩を抱いて「元気だしなー」と言った。もう一人の男もカタコトの日本語で、慰めようと苦心している様子である(なぜ日本語なのかは謎)。が、上手く言葉が見つからない様だった。
「あー、スイギョ…のマジワリ?」
「違う!それ違う!」
真ん中の男はまだぶつぶつ言っている。
さて、山椒魚博士は、ここまで慎重に言葉を重ねて、漸く本題に入らなければならない。
例え理解の及ばぬ怪物が出ても鷹揚と構えなければならない。愈々のときは魔法の言葉を口ずさもう。
「生物多様性!」「人それぞれ!」「戦争反対!」
それは今日の昼下がりのことであった。
職場の廊下を歩いていると、向こうからMという女子職員が歩いてきた。
「山椒魚さん、こんにちは」
話しかけられた。その時、葡萄の強い香りが鼻をついた。私は問うた。
「あれ、Mさん、なんか葡萄の匂いが」
「あぁ、シゲキックスみたいなの食べてる」
この返答を得た刹那、私は或る知識に逢着した。
聞いたところでは、我々の嗅覚とは畢竟味覚と同列にあるという。水に溶けた栄養素が味蕾に触れたその刺激こそが味覚であり、鼻腔に触れたのが嗅覚なのだそうだ。
つまりあれかしらん、Mさんの口から発信した水溶液が、私の鼻腔に触れたということ。
これがもし私の口呼吸していようものなら、いや、口腔と鼻腔は繋がっているのだから、今や私はMさんと唾液の交換、ロマンティックに言うなれば、深接吻したと同義ではなからうか。
(戦争反対…戦争反対…)
さあ淑女の皆さん!
私の前にお集まり、この素晴らしい大自然に感謝しましょう!
私と顔を付け合わせ、いざ深呼吸を!!!