賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

エウレカ

そうか、そういうことか! 

ついに私はこの数日来悩まされてきた謎を解明した! 霧は晴れ、道理が残った。然して私は先の如く哮り、勝利の小躍りを披露したのである。欣喜雀躍と軽快なステップを踏んでいたところ、深夜だったので階下の母から逆咆哮をくらった。龍の逆鱗に際しては神妙にする他ない。ただしこれは一種の誇張表現であって、正確に記すなら、実際の私は咆哮の一歩手前に留め軽快な小踊りも控えていたので、母はいつも通りポカンとしているのみであった。とにかく、脳に掛かる靄の晴れ渡る如く、快活で気持ちが良かった。

 

ずっと、今年のクリスマスは周囲がやけに静かな気がしていた。

例年12月には「クリスマス」「恋人」といった単語が何処からともなく生活のなかに侵入してきて、いつしか街を覆っていたものだが、私の生活範囲で言えば、今年はそれが無かった。

人間社会でよく見る、恋人のある者とない者というお馴染みの対立煽りも無かった。

それについては「いつまで同じことを言っているのか」と少々ウンザリしていた所も無いでは無かったので清々する思いではある。が、いざ何も無いと、ソワソワする気持ちが頭をもたげてきて、ウンザリすると言う私自身も様式美に頼ること大だったという事実が露見し、これは反省すべき点だと思う。反省しながら、私は数日前からこの点について考えを巡らせていたのである。すなわち、今年のクリスマスがクリスマス然していないのは何故か。

 

 

一つは温暖化にある。

大気中に形成された温室効果ガスの外殻により、地球の発する熱エネルギーが宇宙に上手く放出されず、一年を通して気温が上昇、今年はホワイトクリスマスならずに終わった。それが我々の無意識に作用してクリスマスという思想の萌芽を封じ込めたのではないかと推測している。

だいたいの物事は規模の大きなもののせいにすることでもっともらしく聞こえるので便利だ。

 

もう一つの理由は切ない。

要するに私以外の人間がみな結婚してしまって、彼女がどうとかそういう次元からアセンションしてしまったのではないか。

となると口を噤むという私の判断は正しかったことになる。彼女の自慢がどうののレベルに留まって、いつまでも喚き散らす哀れな男という誤解を生まずに済んだと言えよう。