賢者の日記

賢者の日記

齢20と幾年、穴から出られなくなった山椒魚が思った事を記す。

完遂

洋服を買いに隣県までお出かけした。隣県とは言え位置関係上は2県の端と端、片道140kmの大遠征である。

我ながら殊勝な提案をしたものだと思う。定めし自宅会社本屋の三角飛びするという、生粋の出不精を有言実行しているものだから、年に数回、こうしてえっちらおっちら遠出することで精神的な均衡を保ってるのだろう。

この隣県は、以前美術館を訪れた際、下道で4時間かかった。海越え山越え、流れる風景は代わり映えしないと言えば嘘になるが、結局はアクセルを踏む以外にやることがないのだから、挙動の上での代わり映えがない。そのときは行きの2時間くらいで運転に飽きてしまった。行くのも帰るのも億劫で、嫌だ嫌だと思いながら何とか走破したのは記憶に新しい。今回はその反省を生かして高速を使った。だからとても早かった。が、やはり2時間程で飽きがきた。このことから、問題は私の集中力にあることが推論されよう。

 

正月のアウトレットモールは大変混雑して、歩き回るだけで疲れる様である。割引率を見てもあまり宜しくなく、特にこれという獲物も無かったので、すぐ引っ返した。手ぶらで家に帰って、結果だけ見れば高速代とガソリン代、時間諸々を浪費した形である。

 

 私は鷹揚とした性格で、万事おっとりして、そのうえ半端な吝嗇であるから、遊び方が壊滅的に下手だ。叶うものならもっと豪胆な遊びをいつかしてみたいと夢見つつも、いつの間にか川の流れに身をまかせている自分がいる。それで無駄な事ばかり重ねて、結局締まりのない感じで終わってしまうのだ。余りつまらないので自分でも直したいと思っているのだが、いつしかそれが板についてしまったように見える。

三者の目にはそんな私の姿勢すらだらしの無い印象に拍車をかけるものらしく、友人から何度か注意を受けた記憶が幾度もある。言いたくなる気持ちも分からんではないから、そのときは神妙にしていた。

 

先人の智恵に従うところによると、一年の計は元旦にあると言う。

私がだらしのない生活を送る所以は、この一年の計画を立てないことにあるのではなかろうか。友達は毎年、一年のテーマを決めると言っていた。

私のテーマは「完遂」

できることを一つ一つ、完了させていくこと。途中棄権はしない、ということで、性格矯正を図りたいと思います。